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作家名索引
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー / Jean-Baptiste Camille Corot [ パリ , 1796年 - パリ, 1875年 ]
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パリの裕福なラシャ卸売業者の息子として生まれたコローは、26歳になってようやく画家の道を進むことを父に許され、新古典主義の風景画家ミシャロンとベルタンの指導を受けた。1825年から28年にかけてイタリアを旅行し、《ローマのファルネーゼ庭園から見たコロッセウム》(ルーヴル美術館)、《ナルニの橋》(オタワ、ナショナル・ギャラリー)など、新しい感覚に溢れる写実的な風景画を描いた。帰国後はフォンテーヌブローなどフランス各地を旅行し、イタリアで修得した光の表現方法を発展させる一方、確固たる画面構成を追求して《シャルトル大聖堂》(1830年、ルーヴル美術館)などを制作した。しかしイタリアの魅力は忘れがたく、1834年と43年にもローマを訪れている。サロンには1827年から出品し、30年代からは物語性を加味した風景画、いわゆる歴史的風景画に進出。1849年にはサ口ンの審査員に選ばれたが、彼の名を一躍有名にしたのは1855年のパリ万国博美術展に6点の作品を出品して一等賞を獲得したことである。また、この頃に銀灰色の霧に煙ったような独特な画風を生み出し、夥しい数の作品を描くようになる。彼の作品は歳と共に抒情性を深め、《モルトフォンテーヌの想い出》(1864年、ルーヴル美術館)などにも見られるように、写実と追憶がみごとに調和した詩的世界を築き上げた。彼の作品は、初期において古典的理想化から脱却できず、また後期においては必ずしも写生に基づくものではなかったが、自然に対するみずみずしい感性は印象派の画家たちに多大な影響を及ぼした。コローはまた、発表の機会こそ少なかったが、若い頃から肖像画を数多く手掛け、特に1850年以降は古典的静論の中に深い詩情をたたえた婦人の肖像を好んで描いた。《真珠の女》(1868-70年、ルーヴル美術館)がその代表的作例である。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006., p. 162)
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