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ポール・セザンヌ / Paul Cézanne [ エクス=アン=プロヴァンス , 1839年 - エクス=アン=プロヴァンス, 1906年 ]
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南仏のエクス=アン=プロヴァンスに、のちに銀行家として成功する裕福な帽子製造業者の子として生まれた。13歳で同市のコレージュ・ブルボンに入学し、そこでエミール・ゾラに出会い、意気投合して詩作などにふける(二人の親交は1886年にゾラが『制作』を発表するまで続く)。父の希望で一時法学を学ぶが、1861年、画家を志してパリに上り、アカデミー・シュイスに学んでピサロ、ギョーマンと親交を持つ。エコール・デ・ボザールの入学に失敗していったん帰郷し、翌年再びパリに出る。初めはドラクロワ、ジェリコー、ドーミエなどの影響下にロマン主義的な主題を、厚いマティエールと厳しい明暗の対比を用いて激情的に表現していたが、1860年代末、カフェ・ゲルボワでのちに印象派を形成する画家たちと知り合い、特にマネの影響を受ける。普仏戦争中は南仏の漁村レスタックで自然に親しみ、戦後はパリ、次いでオーヴェール=シュル=オワーズに住んで、ピサロの影響下に《首吊りの家》など印象主義的な作品を制作。1874年と77年の第一回および第三回印象派展に参加したが不評を買う。彼は移ろい行く自然の様相をカンヴァスに写し取るという印象派の主張に対して疑問を抱くようになり、自己の感覚をもとに自然の中からその本質を明るい色彩と堅固な形態によって抽出するという、印象派の瞬時性に対抗する試みを行なった。画面は次第に構築性を深め、1880年代から90年代に彼の芸術は古典的成熟の域に達する。90年代はほとんどエクスにひきこもり、孤独と沈黙のうちに「カルタ遊び」、「水浴」、「レスタックの海」、「サント=ヴィクトワール山」など、彼の芸術の頂点に立つ諸連作を制作する。ほぼこの頃より若い世代の画家たちが次第にセザンヌに傾倒するようになり、1904年のサロン・ドートンヌでは、彼のために一室が設けられた。前後7年を費やした大作《大水浴》(フィラデルフィア美術館)を完成したのち、1906年戸外で制作中に倒れ、エクスに歿した。キュビスムの誕生に絶大な影響を及ぼし、モンドリアンらの抽象絵画の形成にも、その存在は大きな役割を果たした。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006., p. 164)
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