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エミール=オーギュスト・カロリュス=デュラン / Émile-Auguste Carolus-Duran [ リール , 1838年 - パリ, 1917年 ]
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北仏の町リールに生まれたカロリュス=デュラン(本名はシャルル・デュラン)は、最初、リール市の美術学校に学んだ。市の奨学金を得てパリに出てからは、アカデミー・シュイスに通うかたわら、ルーヴル美術館で古画の模写を行い、研鑽を積んだ。また、批評家ザカリー・アストリュックなどを介して、クールベやマネと知り合い、カフエ・ゲルボワに集う写実主義や印象主義を信奉する新進芸術家たちのグループに加わるなど、当時の革新的な芸術運動にも積極的に身を投じた。サロンには1859年頃より出品を始めたが、1861年、故郷リール市の主催するヴィカール賞を獲得、イタリア留学を果たした。リール市の給費生として、4年間ローマで過ごしたのちパリに戻った彼は、1866年のサロンにイタリアでの見聞に基づいた作品《暗殺》(リール美術館)を出品し、世評を高めた。続いて1868年には、スペインに旅をし、以前より彼を魅了していたベラスケスを初めとするスペイン美術の影響が、これによって決定的なものとなった。帰国後まもなく描かれた代表作の一つ、《手袋をつけた婦人》(オルセー美術館)は、この旅の成果のーつである。伝統的なアカデミスムの手法に、写実主義、印象主義など、さまざまな傾向を巧みに折衷した画風によって、この頃より、画家の名声はゆるぎないものとなり、ことに、肖像画の分野においては、レオン・ボナなどと共に、第三共和制下のサロンを代表する画家となった。1890年、ソシエテ・ナシオナル・デ・ボザールに創立者の一人として参加し、1900年には名誉会長に選ばれている。更に、1904-13年の間、ローマのフランス・アカデミーの院長を務めた。当時欧州留学生の藤島武二が門下生となったのはこの折であった。19世紀末より20世紀初頭にかけて世評の高かったアメリカの肖像画家サージェントもまた、カロリュス=デュランの薫陶を受けた画家の一人である。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006., p. 160)
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