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作家名索引
シャイム・スーティン / Chaïm Soutine [ スミロヴィッチ , 1893年 - パリ, 1943年 ]
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パリはヨーロッパにおける芸術の都として、フランスの地方のみならず外国の芸術家たちを惹きつけてきた。今世紀の始め頃から第二次世界大戦まで、外国からパリにやって来て、特定の主義主張にはくみせず自由な制作を続けた画家たちを、エコール・ド・パリと呼ぶ習わしがある。モディリアーニ、スーティン、バスキン、キスリング、フジタ、シャガール、そしてキュビスムの始祖となる前のピカソなど、このグループには多くの孤独で、かつ独創的な個性が含まれる。
スーティンは、社会の迫害に耐えながら結束するユダヤ共同体の貧しい仕立屋の10番目の子として、リトアニアに生まれた。彼は、生活に追われながらも画家になるべき本能に抗し切れずに、白ロシアの首都ミンスクで素描を学び、さらにヴィルナで写真家の助手をしながら美術学校に通う。1911年、ある理解者の援助でパリに出て、モンパルナスの貧乏美術家の巣窟「蜂の巣(ラ・リュシェ)」に住み着く。彼はレンブラント、ゴヤといった過去の巨匠たちの他、トゥールーズ=ロートレック、ゴッホらを尊敬したが、身のまわりに高まるキュビスムの波にはほとんど興味を示さなかった。彼の芸術は、強烈な色彩と荒々しいが粘質の筆に激しい情動の表現を託したもので、主題や画面の完成というものを意に留めなかった。それは、フォーヴとは異質のむしろドイツのそれに近い表現主義であった。
1919年から3年問をプロヴァンス地方で過ごし、貧しさと闘いながら制作に集中して自己の芸術の成熟を迎える。1922年、アメリカの収集家バーンズが100点以上もの作品を買い取ったのを機に、生活の安定が訪れた。1943年、長く患っていた胃を手術したが、そのかいなく死亡した。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006., p. 163)
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