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ギュスターヴ・モロー / Gustave Moreau [ パリ , 1826年 - パリ, 1898年 ]
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1826年、パリに生まれる。父は建築家、母は音楽家であった。学識豊かな両親の方針により、伝統的な人文教育を受けたのち、エコール・デ・ボザールの教授でダヴィッドの弟子であったフランソワ・ピコのアトリエに入った。1846年にはエコール・デ・ボザールに入学し、引き続きピコの指導を受けたが、美術家の登龍門であったローマ賞に落選、ドラクロワのロマン主義に惹かれたこともあって、1849年ピコのもとを去った。サロンには1852年に初人選した。その後古典主義とロマン主義との折衷を目指したシャセリオーに師事したが、まもなくシャセリオーが早逝したため指針を失い、イタリアに留学、その間ドガと知り合い、親しくつきあっている。イタリア滞在中は古代ローマのフレスコ画やルネッサンス絵画を精力的に学び、帰国後その成果をもとにサロンに《オイディプスとスフインクス》(メトロポリタン美術館)を出品し成功を収めた。サロンには《イアソン》《オルフェウス》(共にオルセー美術館)などギリシャ神話に基づく作品を引き続き発表し一部の好評も得たが、大半の無理解に曝され、1870年以降参加を取り止め、ラ・ロシュフーコー街の自邸に引きこもって制作を続けた。しかし1876年、《へロデ王の前で踊るサロメ》(口サンジェルス、ハマー・コレクション)、《出現》(ルーヴル美術館)などの作品をもってサロンに復帰した彼は、高踏派の詩人達や象徴主義的傾向を示す美術家、文学者達の間に熱烈な信奉者を生んだ。以後モローは少数だが熱心なコレクターのためにのみ、主として神話や伝説に取材した、華麗な作品を描き続けることになる。1888年には美術アカデミーの会員に選ばれ、1891年からはエコール・デ・ボザールで教鞭を執り、門下からルオー、マティス、マルケらの逸材が輩出した。画家の死後、遺言に依って彼の住居は夥しい数の作品と共に国家に寄贈され、1903年に国立ギュスターヴ・モロー美術館となった。初代館長にはルオーが就任している。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2009., p. 174)
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