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作家名索引
ジョン・エヴァレット・ミレイ / John Everett Millais [ サザンプトン , 1829年 - ロンドン, 1896年 ]
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資産家の家に生まれ幼い頃から既にデッサンに才能を見せたため、両親は早くから画家にすることを考えた。1838年ロンドンのへンリー・サスの美術学校に入り、2年後にはロイヤル・アカデミーの美術学校に、史上最年少で入学を許された。1846年、ロイヤル・アカデミーに《ペルーのインカ帝国を征服するピサロ》(ロンドン、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館)を初出品、翌年には金メダルを獲得した。1848年には仲間の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティとホルマン・ハントとともに、ラファエル前派兄弟団を結成、ミレイの家でしばしば会合が行われた。1849年にロイヤル・アカデミーに出品された《イザべラ》(リヴァプール、ウォーカー・アートギャラリー)は、彼の最初のラファエル前派的作品といえよう。1850年の《大工の仕事場のキリスト》(ロンドン、テイト・ギャラリー)は、聖家族を美化せずに描いていたことで世間の批判を浴びたが、1852年の《オフェーリア》(ロンドン、テイト・ギャラリー)以降、次第に人気を博し、1853年にロイヤル・アカデミーの準会員となった。この時期、美術評論家ラスキンの妻エフィーと不倫の関係になり、1855年の彼らの結婚は、美術界のスキャンダルとなった。
1860年代以降は子供や孫をモデルとしたセンチメンタルな寓意的風俗画で人気を博し、その技法も17世紀スペインのべラスケスなどに学んだ筆遣いを見せるようになる。ペアーズ石鹸の広告に使用された、1866年の《シャボン玉》(ユニリーバ、リヴァプール国立美術館寄託)は、その時期の代表作である。また、肖像画家としても数多くの作品を遺している。1863年にはロイヤル・アカデミー正会員となり、1885年、画家としてはじめて準男爵に叙せられ、晩年はアカデミー会長にも選出された。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2009., p. 173)
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