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エドゥアール・マネ / Édouard Manet [ パリ , 1832年 - パリ, 1883年 ]
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1832年、富裕なブルジョワの長男としてパリに生まれる。法務省の役人であった父は、エドゥアールが法律の道に進むことを望んだが、その意に反して、彼自身は美術に関心を寄せていた。1848年および49年に海軍士官学校を受験するが失敗、1850年より6年間、当時名声を博していたトマ・クテュールのアトリエに在籍する。この時期、しばしばルーヴル美術館に通い、ティツィアーノ、ティントレット、ベラスケスなどの絵画を模写した。この頃より、ボードレール、ドガ、ファンタン=ラトゥールなどと親交をもつ。ことにサロン出品作《ローラ・ド・ヴァランス》(1862年)は、ボードレールの賞賛を得た。1863年のサロンに落選し「落選展」に展示された著名な《草上の昼食》や、1865年のサロンに出品された《オランピア》(ともにオルセー美術館)によって、美術史上名高いスキャンダルを引き起こしたが、力フエ・ゲルボワに集う若い芸術家や文人たちからは熱烈な支持を得た。《マクシミリアン皇帝の処刑》(マンハイム、市立美術館)、《笛を吹く少年》、《エミール・ゾラの肖像》、《バルコニー》(以上オルセー美術館)などの名作はすべてこの時期の制作になる。生涯を通じてサロンに作品を送り続け、印象派の運動には直接加わろうとしなかったマネではあるが、続く70年代以降には、印象派への傾斜を明瞭に示し、そのパレットはより明るくなった。象徴主義運動の盟主となる詩人マラルメとの交友も画家の後半生においては特筆されるべきものであろう。マラルメ訳のポーの詩『大鴉』に添えられたマネのリトグラフ(1874年)は19世紀版画史上の一頂点といえる。1882年、《フォリー=ベルジェールの酒場》(ロンドン、コートールド・インスティテュート)がサロンで大成功を収めたが、翌1883年、51歳で死亡した。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006., p. 172)
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