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エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス) / El Greco (Domenikos Theotokopoulos, called) [ カンディア , 1541年 - トレード, 1614年 ]
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エル・グレコは本名をドメニコス・テオトコプーロスと言い、当時ヴェネツィア領であったクレタ島(現在はギリシャ領)にカトリック教徒の徴税請負人の子として生まれた(グレコはイタリア語でギリシャ人を意味する)。その芸術性については判然としないが、おそらく後期ビザンティン様式を受け継ぐクレタ=ヴェネツィア派の画風を修得して、1563年以前にカンディアで親方となった。貿易商であった兄のつてによるのか1567年頃ヴェネツィアに渡り、1570年にローマに移るなど約10年間イタリアに留まって、ヴェネツィア派(ティツィアーノ、ティントレット、バッサーノなど)の色彩とミケランジェロの量感表現、さらに16世紀中頃のマニエリストたちの引き伸ばされた人体比率などを学んだものと想像される。1577年、エル・グレコはスペインの古都トレードに現われ、以後約40年近くにわたって同市は彼の制作活動の舞台となる。トレード大聖堂のための《聖衣剥奪》(1577-79年)にも見られるように、彼の画風はスペイン到着後急激な変貌を示す。イタリア時代の作品に見られる透視図法を駆使した空間構成に代わって、人物像を垂直に積み重ねて行くビザンティン的とも言える空間処理、あるいは、前景を大胆に切り落としたマニエリスム的構図が採用されるようになる。その極めて独創的な色調と構図がフェリーペ2世の不興を買ったため、宮廷画家への道は閉ざされたが、当時対抗宗教改革運動が隆盛を極めていたトレードの宗教関係者や知識人の間では圧倒的な支持を得た。1590年頃からは逞しい肉体表現に代わって人体の長身化が顕著になり、解剖学に基づく骨格や肉付けが無視され、形態は次第に流動性をおびるようになる。そして最晩年の作品《ラオコーン》(ワシントン、ナショナル・ギャラリー)や《聖ヨハネの幻視》(メトロポリタン美術館)などは、極端に観念化された色彩と形態によって、エル・グレコの沸き立つ情念を余すところなく伝えている。彼の名声は、バロック期の目然主義の抬頭によって死後たちまち忘れ去られたが、今世紀初頭に至って表現主義の抬頭とともに復活し、神秘主義者あるいはスペインの最も純粋な魂の表現者として再評価を受けた。しかし近年は新資料に基づいて16世紀イタリアの芸術論を継承する画家としての側面が脚光を浴びている。生前は流行作家であったため工房作が多数存在し、また死後再評価を受けるまでに長い年月を要したことから、作品の保存状態は一般的に良くない。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006., p. 161 表記揺れ修正済み)
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