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作家名索引
アンドレ・ドラン / André Derain [ シャトゥー , 1880年 - ガルシュ, 1954年 ]
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パリ近郊のシャトゥーに生まれ、18歳頃より画家を志し、アカデミー・カリエールに籍を置く。99年にそこでアンリ・マティスと知り合い、1900年にはモーリス・ド・ヴラマンクとシャトゥーに共同でアトリエを構えて制作をするようになった。1901年にベルネーム・ジュヌ画廊で開かれたゴッホの回顧展に衝撃を受け、またその会場でヴラマンクをマティスに紹介し、後のフォーヴィスムの中核となるメンバーが顔をそろえることとなった。兵役を終えた1905年、南仏コリウールでマティスと共同制作を行い、フオーヴィスムの画家たちが結集したその年秋のサロン・ドートンヌ(秋季展)に参加する。1907年には、ピカソやブラックと知り合い、セザンヌへの傾倒とアフリカ彫刻への関心とを共有。キュビスムの運動に直接参加することはなかったが、その初期の展開と理論とには同一歩調をとり、セザンヌ作品の探求に基づいた構築的な風景画に専念するため、1908年には、手元にあったそれまでの自分の作品を全て破壊してしまった。1910年以降には、さらに作風を大きに変化させる。初期ルネッサンスやプッサン、16世紀ヴェネツィア派の作品の影響が顕著となり、11年にはフランドルの静物画への関心に基づく作品を制作するようになった。第-次大戦後は、コローの影響を受けた風景画を描く一方、多くの肖像画も制作し、1919年以降には、ディアギレフのロシア・バレエ団舞台装飾も手がける。1920年代の中心的な主題は静物画と裸体画であるが、1930、40年代にはそれに加えて古典古代の神話を題材にした作品も制作している。ドランは絵画のみならず彫刻も手がけているが、それらは初期にはゴーガンの影響の濃い木彫、アフリカ彫刻を知った後は石像彫刻と異なる素材を用いているものの、いずれにしてもプリティヴな表現を示している。
(出典:国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2009., pp. 166-167)
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